こんにちは!キャリアコンサルタントの金子めぐみです。
今回は「スピリチュアル」についてのお話です。
あなたはスピリチュアル関係のことについてどんな印象をお持ちでしょうか。
現代科学では解明できない不思議なことが起こることについて「まったく信じない」という人はどんどん減ってきているようです。
スピリチュアルブームが起きていると言われはじめた2005年、美輪明宏さんと江原啓之さんの出演する「オーラの泉」というテレビ番組がスタートしました。
江原啓之さんがゲストのオーラや前世、守護霊を見てアドバイスをするといった内容の番組です。
深夜枠ではじまったこの番組は、すぐにゴールデンタイムに進出。江原啓之さんは同じころにスペシャル番組でも人気を博していました。
2000年以前には「オカルト」と呼ばれ暗く不気味なイメージのあった「見えない世界」ですが、このような流れから「スピリチュアル」と呼び名を変え、以前のような不気味な印象は持たれなくなりました。
また、日本での「スピリチュアル」という言葉は「オカルト」に比べてその範囲が広がり、「神仏を大切に思う」といったことも含められるようになりました。
そのために「スピリチュアル」に対する印象はますます良くなり、一般の人が「オーラ」「前世」といった言葉を口にすることも当たり前になっていったようです。
わたしにとってこのスピリチュアルブームはありがたいことでした。
自営業をはじめて忙しくなるにつれて「どうしたらいいのかわからない」ことも増えていったそのときに「スピリチュアルな考え方」をすることで救われることが多かったからです。
今当時を振り返って冷静に考えると「べつにスピリチュアルな考え方しなくても解決できるよね」ということもあるのですが(笑)、当時の自分のレベルで世の中を理解するときにスピリチュアルな考え方はとても役に立ったのです。
また、経営者が大好きなわたしは経営者さんの本をよく読んでいました。すると、成功している彼らの多くは「神社にお参りに行く」「マイナスな言葉は口に出さない」「事務所には神棚があり風水をしている」といったスピリチュアルといえる習慣を持っていることがわかりました。
わたしにとっては「前向きな考え方を教えてくれた」スピリチュアルですが、ここまでブームになるということは他の意味もありそうです。
スピリチュアルについて一生懸命調べて、自分なりに考えてみました。
それでは、スピリチュアルの世界へまいりましょう!
1. スピリチュアルとは
1-1. スピリチュアルは 森羅万象の中で目には見えないもの
スピリチュアルは、この世の森羅万象の中で目には見えないものに深くかかわっています。
森羅万象とは宇宙に存在するすべてのもののことですが、その中には「喜怒哀楽といった感情」や「人が想像でき得るもの」といった目に見えないものも含まれます。
人は「肉体」と「精神」と「魂」でできているという考え方もあり、それらがバランスよく整っているときに幸福を感じるのだといいます。
「肉体(人の身体)」と「精神(人の心)」の他に「魂(スピリット)」があるのですね。
そしてスピリチュアルな考え方では、この「魂」は今の肉体に入る以前にも存在していて何度も生まれ変わっているのだといいます。
わたしはこの考え方に救われますが、あなたはどうでしょうか。
1-2. 不思議な出来事が起こるスピリチュアルな理由
誰もが理屈では説明できない「不思議な出来事」を体験したことがあると思います。
そうした不思議なことが起こる理由を説明してくれるのがスピリチュアルな考え方です。
思いがけない偶然が起きる「シンクロニシティ」やとても低い確率なのに大切な物やヒントがみつかる「セレンディピティ」、色などを利用して開運する「風水」もこれに含まれるかもしれません。
何かが起きる原因が「妖精」「霊魂」「神仏」などの目に見えないものによるものと考えることもそうですね。
セレンディピティについてはこちらで^^
そう考えると、今日本でいわれる「スピリチュアル」は「宗教」「心理学」「開運法」「哲学」など幅広い範囲のものごとを含んでいることがわかります。
スピリチュアルな考え方を信じることで、わたしたちの経験する不思議な出来事は「理屈では説明のできない不思議な出来事」から「説明のつくあたりまえのこと」となります。
1-3. スピリチュアルの「引き寄せの法則」的なことすべて
人がイメージしたもの、意図したもの、常に考えている物事などを引き寄せるという「引き寄せの法則」もスピリチュアルの範疇にあるといえます。
「引き寄せの法則」では、波動が同じものが引き寄せられるともいいます。
自分が高い波動を持っていれば、おなじように高い波動の良いものが集まってくるという考え方ですね。
そしてその「波動を上げる方法」としての行動もまた、すべてスピリチュアルといえるでしょう。
【波動を上げるといわれている方法】
・神社仏閣・教会などへお参りする
・住まいを片付けて掃除し、風水を施す
・人の悪口を言わないなどの道徳的な行動をとる
・誰も見ていなくても良い行動をとるなどして徳を積む
・仕事や学問など今やるべきことに集中して取り組む
・いつも穏やかな気持ちで過ごすようにする
1-4. スピリチュアルな考え方のメリット・デメリット
スピリチュアルな考え方をすることで、わたしのように多くの人は気持ち的に楽になったり人生を前向きに捉えられるようになったりしているはずです。
その一方で、スピリチュアルにとらわれすぎて逆に今の人生を台なしにしてしまったり、人間関係を悪くしてしまったりすることもあるようです。
たとえば新興宗教はそれぞれの宗教によって違う「スピリチュアルな考え方」を持っています。
自分だけが入信して幸福を得られるならあまり問題はなさそうですが、自分の考えで家族まで信者にしたり友人知人に強引な勧誘をしたりするなどすれば人間関係が壊れる原因になりそうですね。
ここでのポイントは「人にスピリチュアルな考え方を押しつけるかどうか」にありそうです。
ほんとうに自分がスピリチュアルによって幸福になっているのなら、無理に誰かに勧める必要はなくただそのままの状態でいても人は集まってくるはずです。
2. スピリチュアルと他のものの比較・関係
2-1. スピリチュアルと哲学
スピリチュアルと哲学は「学問であるかどうか」の違いがあります。
スピリチュアルにも哲学にも、「人がより良く生きていくためにどうしたら良いかを教えてくれるもの」という共通点があります。
学問と呼ばれるためには誰もが納得できる内容である必要があるために、たとえスピリチュアルと同じことを伝えようとしても、より抽象度の高い表現になっていきます。
(う~ん、こんな難しい内容を書いていると「わたしってあったまいい!」と思ってしまいそうです・笑)
哲学を簡単にいうと「自分ってなんだろう?」「恋ってなんだろう?」「生きる意味とは?」「愛とは?」「教育とは?」「良い社会とは?」「幸福とは?」…
こんなふうに「様々なものごと」の「本質」を捉えることです。
本質を捉えるには「相対的」ではなく「絶対的」でなくてはなりません。
なぜなら、「相対的」で良しとするとそれ以上考える必要がなくなるからです。
「生きる意味ってなんだろう?」
「まあ、人それぞれ違うよね」
…おしまい。
「愛ってなんだろう?」
「それって、人によって違うよね」
…おしまい。
「良い社会ってどんな社会だろう?」
「人によって違うよね」
…おしまい。
現代は相対主義といわれていて「絶対に正しいことなんてない」といって、考えずに済ませる傾向にあるのだそうです。
たしかに誰もが納得する「絶対に正しいこと」など世の中にはないのかもしれません。
しかし、それを考えて考えて考え抜き、いろいろな方法を生み出してきた哲学者たちのおかげで今わたしたちが恩恵をあずかっている「民主主義」が生まれました。
哲学は「答えのないことを考えること」ともいわれますが、それぞれの哲学者が世の中を良くしようと考えられるところまで考え、次の世代の哲学者へとバトンタッチしてきた学問です。
「どうしたら戦争はなくなるのか」「どのような教育が必要なのか」といった世の中を良くしようと考える人がいたからこそ、今のわたしたちのように自由で豊かな生活があるのですね。
たとえばわたしでも名前だけは聞いたことのある哲学者ルソーは、著書「エミール」で不幸の本質を
「不幸とは欲望と能力のギャップである」
としています。
このように本質を提示されれば、不幸を解決する方法が見えてきますね。
「不幸」でなくなるためには「欲望」と「能力」をどうにかすればよさそうです。
「あの人が好きで好きで仕方ない、けれど恋人になってもらえない」という不幸なら
・「恋人になってほしい」という「欲望」のレベルを下げて「話をしてほしい」くらいにする
・「恋人になってほしい」という「欲望」を「友達になってほしい」に変えられるか検討する
・「恋人になってもらえない」のはどの能力が不足しているか検討して能力を上げる
このようにルソーは当時の人々に様々な解決策をみつけるヒントを与えていました。
ルソーの時代は絶対王政の社会で「自由に生きられない」苦しみが大きかったため、現代に比べ幸福のハードルが低かったのですね。
そのため様々なことに対して、このように哲学的にある程度答えを出せたようです。
こうした考え方を「欲望相関性の原理」といいます。
哲学における「思考のはじまり」はわたしたち人間の「確信」に基づいていて、その「確信」は「欲望」に応じて決まるということです。
哲学では「欲望相関性の原理」をつかうとほとんどのことは説明がつくといっても良いくらいだそうです。
しかし現代では、この「欲望」にまつわる悩みは「自分の欲望がわからない」といったことになってきています。欲望がわからなければ、不幸にも幸福にもなれないでしょう。
たとえば就職活動でも「自分がやりたい仕事がわからない」という人は多いようです。
やりたい仕事がないあなたへ^^
こうした「欲望」が希薄になっている時代に、「欲望相関性の原理」は使えなくなってきているといえるでしょう。
世の中が「相対主義」になり「欲望」を持たなくなっていく中で、哲学は「理屈をこねまわしているもの」「難しくて役に立たないもの」と思われてしまうようになりました。
それに対してスピリチュアルは主観が中心ですので現代の人々にわかりやすく「こうしたら不幸にならないよ」「こうしたら幸せになれるよ」と伝えられるものとして、以前よりその意味合いの範囲を広げているように見えます。
2-2. スピリチュアルとオカルト
スピリチュアルとオカルトの違いや関係性は人によって見方が違います。
わたしは「スピリチュアル」という言葉が日本で一般的になる前は「オカルト」として扱われていたものが、現代では「スピリチュアル」になっていると考えます。
そして「スピリチュアル」のイメージは「オカルト」に比べて「明るくて信用できるもの」といえるのではないでしょうか。
「霊能者」というと「オカルト」っぽくて、「○○ヒーラー」というと「スピリチュアル」な印象というように言葉の使い方で印象が暗くも明るくもなる感じもします。
日本での学術的研究としての心霊現象研究(透視実験)のはじまりは、明治43年福来友吉博士によって行われています。
福来博士について調べてみると、興味深いことに彼は東京帝国大学(現・東京大学)の哲学科を卒業しています。同大学院では変態心理学(現・催眠心理学)を研究しています。
やはり当時は「オカルト」と言われていた心霊現象の研究をしている人は「哲学」のように人を幸福にするにはどうしたらいいのかを考えていた人なのではないかと思います。
ここにも「スピリチュアル(当時はオカルト)」と「哲学」そして「心理学」の深いつながりをわたしは感じます。
福来博士は透視や念写などの実験で御船千鶴子・長尾郁子・高橋貞子といった女性を有名にしたのですが、「当たればインチキを疑われ、はずれれば非難される」といった実験に疲れた御船千鶴子さんは自殺してしまいます。
長尾郁子さんも超能力をインチキと疑った学者が「透視、念写は詐欺である」という見解を報道陣に発表した後は一切の実験を断り、詐欺報道からわずか2ヶ月で急死しています。
これらの霊能力、超能力といった類のことは「オカルト」として扱われていましたが、現代なら「スピリチュアル」と呼ばれたかもしれません。透視や念写ではありませんが目の前の人の心を読み取ってしまう「メンタリスト」もいますね。
「スピリチュアル」と「オカルト」について、精神科医の香山リカさんは著書の中で「スピリチュアルはオカルトの一分野」としていますがこの考え方には納得がいく人もいかない人もいると思います。
香山リカさんは医師という科学者として、スピリチュアル的なことをかなり中立的な立場で「スピリチュアルにハマる人、ハマらない人」という本で分析しています。
わたしが「スピリチュアル」について自分でも納得いくまで考えてみようと思ったのはこの本がきっかけでした。
どちらかというとスピリチュアル寄りな考え方をしているわたしにとって香山リカさんの意見は、はじめはどちらかというとスピリチュアル批判のように感じました。
しかし他のことを調べているときに「あれ?」と思って何度か読み返してみると、香山リカさんはとても中立的な立場で書かれているのだと気づいたのです。
ただ中立の立場で世の中の現象を語っている人に対して、「批判的にものを言っている」と感じること自体、すでに自分は客観的にスピリチュアルを捉えられていないということですよね。
そのことからも、スピリチュアルはどこか「怪しい」「うさんくさい」部分があるのだとわたしは直感しました。
わたしが感じたことはこのあと3章の「スピリチュアルを疑ってみる」に書きましたので、興味のある方は一緒に考えてほしいなと思います。
2-3. スピリチュアルと宗教
スピリチュアルと宗教は深く関わっています。
スピリチュアルは精神世界とも呼ばれますが、この精神世界の追求こそが宗教だからです。
両者の違いをわたしの印象でいうと
「宗教は深く濃くて経典のすべてを信じなくてはならないもの」
「スピリチュアルは、宗教より薄くて信じたいところだけ切り取っても良いもの」
という感じです。
宗教に関しては、それこそプライバシーにかかわる話題として政治の話と同様に「世間話として口に出さない方が良い」話と言われます。
しかしスピリチュアルな話題であれば、現代の女性なら気軽に「ねえねえ、前世って信じる~?」というように話せますよね。
また、「宗教として信仰している」というと「我が家は代々曹洞宗で…」というように家族の歴史も含まれてくるのに対して、スピリチュアルは完全に「自分はこれとこれは信じる」と個人の意見として発言できるように思います。
2-4. スピリチュアルと脳科学
スピリチュアルなことを脳科学として説いているのが苫米地英人さんだとわたしは思います。
苫米地さん本人はスピリチュアルなつもりはないのだと思いますが、わたしの中では勝手に「男性版スピリチュアル」と捉えています。
苫米地さんは「抽象度を上げる」「コンフォートゾーンを抜け出す」「スコトーマをはずす」といったことを自己啓発系の書籍で何度も書かれています。おそらく本人にはある種の真実がありそれを伝えるためなのでしょうが、切り口は違っても同じことが繰り返される内容にはわたしは少々辟易します。
苫米地さんはおそらく男性のビジネスパーソンをターゲットの中心としてとても具体的にその方法まで書いているのですが、実践できるのは読者の中でチャレンジした人の中でも1%もいないのではないかなあとわたしは思っています。
例えば目標をつくるときに
「今の会社の課長になる」「将来は専務か社長になる」というように現状の延長線上にあるものだと「コンフォートゾーン」から抜け出せないので行動が変わらず達成もできない
「○○の業界で起業し、年収1億円を達成する」だとコンフォートゾーンから抜け出せるので自分の行動が変わり、目標を達成できる
といったことを苫米地さんはあちこちの本で書いています。
これは女性がよく口にする「引き寄せの法則」や「イメージしたものが本当になる」といったスピリチュアルな考え方と変わらないとわたしは思います。
共通点は「そうなるためには心の底からそう信じる(潜在意識を変える)必要がある」ということ。
本を読んだ直後は「ようし!コンフォートゾーンを抜け出すぞ~!」「スコトーマをはずすのだ~!」と思っても、結局そう簡単にはいかない男性が多いとわたしは思います。
女性も同様に、スピリチュアルな本を読んで「イメージしてそうなる!」と思ってもすぐにうまくいくことはほとんどないでしょう。
そして、どちらも「コンフォートゾーンが変わっていないから何も変わらないんだ」「引き寄せられなかったのは自分がイメージするものを本当には信じることができていないからだ」と結論づけはするものの、信じていることには変わりないのでまたそのような内容の本を買ったりセミナーに参加したりしては「こんどこそ!」と繰り返すのだと思います。
あ、偉そうに書いてますけれどもちろんわたしを含めてです(笑)。
一般の人たちがその繰り返しになることくらい、苫米地さんをはじめとして「自己啓発的なこと」で飯を食っているような賢い人ならわかっています。わかっているから繰り返しお金を注ぎこむ人から儲けることができるのです。
最近うちの息子とよく冗談で言っているのは
「だってそのために俺は頑張って頑張って勉強して良い大学(東大とか早稲田とか見栄えのする大学)に入ったんだから…」
というセリフです。
政治家やNHKの職員や警察の上層部など学歴がないと入れないところで働いている人があまり良くないことをしていたとしても、不倫をしていたとしても、何をしていたとしても、そのような事件が報道されるたびにこのセリフをお互いに言い合います。
セリフのつづきは
「…これから先は搾取させてもらうよ」
「…楽な天下りをさせてもらうよ」
「…美女と遊ばせてもらうよ」
というように耳にした事件によって変わります(笑)。
わたしのような一般的な人が「スピリチュアル」なことにならハマってしまうということがわかれば、賢い彼らはすぐにそこを収入減にできるのですね。
信者になった数少ない人から退職金や貯金などを根こそぎ寄進させるのが新興宗教ですが、「スピリチュアルを使って、一人一人からちょっとずつたくさんのお金を集める」という方法も賢い彼らにとってはたやすいことなのだと思います。
「頑張って頑張って勉強して良い大学に入った」
までは同じでも
救命救急の医師として、またへき地医療の医師として、どちらでもなくても医療関係者として寝る間も惜しんで努力している人もいますし、その能力を活かして未来に役立つ研究を続けている人ももちろんいます。
文系であれば語学能力を活かして海外で活躍している人もいますし、他にもきっと、わたしたちのような一般人が思いもよらないようなすごい人はたくさんいます。
でもそうした人たちは、わたしたちのような一般人からちょっとずつのお金をもらうことなど考えてもいません。
彼らは自分の能力を活かしきることばかり考えているとわたしは思います。
けれど、人によってはその能力をスピリチュアルを使ってお金儲けに使うことができているのだと思います。
「だってそのために俺は頑張って頑張って勉強して良い大学(東大とか早稲田とか見栄えのする大学)に入ったんだから…」
その後に続くのは
「…スピリチュアルを使ってバカな一般人からお金儲けするよ」
なのではないかと思います。
今回スピリチュアルについて調べるうちに、自分のプロフィールに卒業した大学名を入れている人はその大学名に自信があるというよりも「その大学名が信用につながる」と考えていることを感じました。
2-5. スピリチュアルと精神科医
精神科医として現在も診療をしている香山リカさんが経験談としてこのようなことを紹介しています。
あるとき、20代前半の女性が診察室に入ってきました。
問診票には「職場や家族のことなど」としか書かれていないそうです。
髪はきれいにセットされ、アクセサリーもつけていることから香山医師は彼女の心にはまだ余裕がありそうだという判断をしながら質問をします。
「職場や家族のことで相談にいらしたとのことですが、もう少し詳しく教えてもらえますか?」
しかし彼女は無言。
「気楽に、話しやすいところからでいいですよ」
といった何度目かの問いかけに
「ここ、精神科でしょう?だったら先生、私が何を悩んでるかくらい、わかるんじゃないの?こっちが話さなければわからないなんて、インチキじゃん」
とその女性は答えました。
「いやいや、話してくれなければわかんないですよ。精神科医は占い師じゃないんだから」
と香山医師が言い返すと
「でも、精神科医って深層意識とか前世とか、本人がわからないものがわかるんでしょ?私、自分の前世について知りたいんですよ。そこに問題があると思うから」
と口にします。
彼女の言う「深層意識」という言葉も医師にとっては意味不明だそうで、
「精神科医は一応、科学者なんで、前世なんて非科学的なことはわかんないですよ」
と答えたところ、患者の女性は怒り狂って出て行ってしまいました。
香山リカさんは呆然とすると同時に、「彼女の言うことも一理あるな」と思ったのだといいます。
それは、彼女がカール・グスタフ・ユングのことを思い出したからです。
ユングは医学部を卒業し、その後独自の深層心理学を打ち立てた精神科医です。
しかし彼は「人間の無意識は深いところでつながっている」ことや、意味のない偶然の一致を意味する「シンクロニシティ」など、とても科学的とはいえない概念を用いていました。
これらはまさに今、スピリチュアルな考え方として多くの人が信じていることですよね。
さらにユングの著作では「錬金術」「幽体離脱」「輪廻転生」「チベット密教」などを紹介していてそれらを肯定しないことにはユングの心理学が理解できないことになってしまいます。
大学の精神医学の教科書では、短い記述でユング心理学が紹介されるのみにとどまるのに対して、おなじ人の心を扱うのに文系の学問となる臨床心理学ではユングが評価され実践されていることも不思議です。
精神科医であり臨床心理士の資格も取った香山リカさんは、医師として「前世?生まれ変わり?バカなこと言うんじゃないよ」と切り捨てる資格が自分にはあるのかと問いかけていました。
2-6. スピリチュアルと量子物理学
スピリチュアルと量子物理学については、たくさんの「わかりやすく書かれた」本ですら、わたしの脳みそではほぼお手上げでした。
はじめは、量子物理学が理解できればきっと「引き寄せの法則」のように「頭で考えたことが実際の世界で形になるまで」が理解できると信じて「量子物理学」の本をいろいろと読みあさりました。
「図解!よくわかる」的な本で、様々な図解があっても正直難しかったです。「専門用語なしで解説」してくれる本でも難解でした。
おかげで毎晩すぐに眠りにつくことができました(笑)。
へえ、なるほどそうだなあと思ったのはひとつだけ「シュレディンガーの猫」と呼ばれているものです。
簡単に説明しますね。
透明ではない(中の見えない)箱の中に猫がいます。
猫は50%の確率で死ぬという装置がついています。
箱を開ける前の中身はどうなっているでしょうか?
箱を開けたときにわたしたちは生きている猫か死んでいる猫を目にします。
その確率は半々です。
それでは、箱を開ける前の箱の中は?
可能性としては生きている猫と死んでいる猫が半々。重なり合っているということになりますね。
しかしわたしたちはそれを目にすることはできません。
目にしたときには猫は死んでいるか生きているかなのです。
う~ん、正直最初にこの話を読んだときは「なんで猫にそんな可愛そうなことするの~?」でした(笑)。
何度も読み返して(猫はいったん頭から追い出して)考えると、ふたつの可能性がある箱の中身は重なり合った状態にあるこのことは、量子が「どちらにもなり得る」という性質を持っている、ということなんだなあとちょっとわかったのです。
もしかしたら他の世界(次元?)から見るわたしは「裕福で幸福な専業主婦」と「お金の心配をしているいシングルマザー」が重なり合った状態で、どちらにもなり得るのかなあ??
なんてことを考えました!
3. スピリチュアルを疑ってみる
3-1. スピリチュアルとお金
スピリチュアルな考えを持っている人で、そうしたことを職業にしている人の多くは金銭的に豊かな状態になる事を否定しません。
否定しないどころか「金銭的にも遠慮なく豊かになりましょう」と口を揃えていいます。
これとは正反対に、日本には「清貧」という言葉があります。英語では「honorable poverty」と訳されるようで直訳すると「名誉ある貧困」となります。
おもに宗教的な考え方で「他者に与える」ことを善とするとき、自分の持っているものまで与えてしまうことが素晴らしいということになります。
この考え方は仏教に限らずキリスト教や他の宗教にもみられます。
そのような宗教の考え方が根底にあるせいか、日本だけではなくどの国の人でも「お金」に対してはかなり複雑な気持ちを抱えてしまうようです。
あなたも身近な人がこのように口にしているのを聞いたことがあると思います。
・お金持ちは他人のお金を搾取している
・お金持ちはずるくてケチで汚い
・お金で幸せは買えない
・金のなる木はない
わたしたちの多くは上記のような言葉に囲まれて、「お金が欲しい」「お金大好き」と口にするのは「はしたない行為」と教えられて育ちます。
ところが、本当はお金で買える幸福もたくさんありますし、日々の悩みの中にはお金で解決できることもたくさんあります。
この矛盾を(考え方の上では)なくしてくれるのが現代のスピリチュアルです。
本心ではお金が欲しいと思っている人に対して、「それが当たり前です」「お金はあった方が心豊かに暮らせます」という「お金に対する許しの言葉」をスピリチュアルで稼いでいる人たちはくれるのですね。
そして本当かウソかわかりませんが(笑)
「ほら、私はお金があってこんなに幸せ!」
と「お金のある幸福」を見せつけてくるわけです。
今まで本当の気持ちに蓋をしていた人たちは、こうした許可を得てはじめて「お金が欲しい」「お金持ちになりたい」という自分の本心に気付く、あるいは表に出すのではないでしょうか。
そして、そのことに気付いたときに目の前にいる人が自分の理想の人に見えるのだとわたしは思います。
ヒヨコが生まれて最初に見た動くものをお母さんだと認識するように、わたしたちは「豊かになっていいよ。あなたにはその価値があるんだよ」とスピリチュアルな優しい言葉をかけてくれている人をすっかり信用してしまうのです。
しかし実際にその「憧れの人」はなぜ「金銭的に豊かなのか」というと、スピリチュアル的な高額カウンセリングをしていたり、高額セミナーを行っていたリするからなのですよね。
「あなたもこうなれるわよ。どうしたらいいか教えてあげるわよ」と言いながら、ついてきたヒヨコちゃんたちがよそで一生懸命働いて得たお金を受け取ってさらに豊かになるというシステムができあがるというわけです。
「お金持ちになる方法を教えて、それを仕事にしてお金持ちになっている」
なんて、ヒヨコが先かニワトリが先か、みたいな気がしませんか?
3-2. 現実逃避としてのスピリチュアル
スピリチュアルとお金について考えてきましたが、スピリチュアルは一般の人たちの現実逃避になっているのではないかと心配になりました。
「一般の人たち」なんて偉そうに書いていますが、もちろんわたしはそのど真ん中にいると自覚しています。
わたしたちはスピリチュアル的な言葉で「認めてもらえる」「自分に罪はないと言ってもらえる」「許してもらえる」ことに快感を覚え、もっともっと、と求めてしまうのではないでしょうか。
「お金が欲しい」のなら朝から晩まで働けばいいのにそうした単純で大変そうなことはしたくなくて、「『潜在意識から変える』といったことで楽にお金が手に入る方法があるはず」とスピリチュアルな世界へ逃避しているのではないでしょうか。
香山リカさんがなぜあれほど冷静にスピリチュアルを捉えられるかについて考えました。
わたしなりの考えですが、彼女は「医師の中では落ちこぼれ」などと謙遜では口にしながらも大学教授や精神科医として、またテレビタレントとしても活躍して「努力が実っている」人だからだと思います。
豊かに暮らせるだけの収入を得る道がいくつもあり、生活のためのお金を心から心配したことがないのだろうと思うのです(本人を存じ上げないので間違えているかもしれません)。
香山リカさんは勉強という努力が実って東京医科大学に進み、その後も努力を続けられていると思います。
今では何人かの「美人女医」がタレントのようにテレビに出ていますが、香山リカさんはそのハシリともいえるでしょう。美しい女医さんであると同時に、本名がカタカナの「リカ」だったことも良い方向に働いていると思います。
そのような、(本人は否定するでしょうが)わたしたちから見た「きらびやかなセレブリティ」であれば心の不安定さは少ないのではないでしょうか。
少なくとも「お金を儲ける(稼ぐ)方法」などといった美味しい(そして怪しい)言葉に彼女が魅力を感じることはないでしょう。
また、彼女の場合努力によって正当な報酬を受け取っていると感じているでしょうから、罪悪感もないと思われますし誰かに「あなたは豊かになっていいのよ」などと許可的な言葉を誰に言われる筋合いもないでしょう。
ところがわたしを含めて一般の人の多くは、お金の心配をして暮らしています。
しかも、そのほとんどの人はきちんとした定職があり収入があるにもかかわらず、です。
そこへ
「豊かになれないのはあなたが心の奥の潜在意識でお金を否定しているからです。お金への思い込みを開放して、豊かになりましょう」
というようなスピリチュアルな言葉をかけてもらったとしたら…。
わたしなら、5千円くらいのセミナーなら参加しちゃいそうです(笑)。
いや逆に、5千円だと信用しなくて5万円なら参加するかも(汗)。
「自分にお金がない」ことは「自分の責任」なのですけれども
「今までの環境で作られてしまった思い込みのせい」
と言ってもらえると、自分の責任ではないような気がしますよね。
人は誰もが認めてほしいし許してほしい
スピリチュアルの世界は認めてくれて許してくれて、しかも考え方を変えるだけで辛い努力はなくてもなんとなくいつかはお金持ちになりそうな気分にさせてくれるのですね。
スピリチュアルな雰囲気で話をしているようでも、深く観察すると心理学的な要素を駆使して相手からどうやってお金を取るか考えている人(そしてそれに成功している人)が「スピリチュアルで飯を食っている人」だとわたしは気づきました。
さらに、スピリチュアルで飯を食っている人は、そういった搾取のしくみに気づかないふりをしているかあるいは本気で「あなたのため」と思っているか、このどちらかの人が成功しているのだと思います。
わたしたち一般の人が現実逃避をする代償としていくばくかのお金をスピリチュアル関係につかうことで、彼らはさらに豊かになっていくとしたらちょっと怖いなとわたしは思いました。
わたしは現実逃避しないようにしよう、お金が欲しかったら働こうと思いました!
3-3. スピリチュアルと経営者
スピリチュアルを疑ってきましたが、実際に立派に実業家として成功されている多くの経営者の方々も、スピリチュアルなことを口にしています。
これはどういうことなのでしょうか。
京セラの創業者として知られる稲森和夫さんの本を読んでいても、彼は自分がちょっと驕った気持ちになっていたリそうした行動を取ってしまったりしたときには
「神様、自分はさっき、驕った気持ちでした。ごめんなさい!」
と神様のいる上の方を向いて口に出して謝ると書かれていました。
パナソニックの創業者であり経営の神様として有名な松下幸之助さんも「隠宅風水」と呼ばれる風水を実践し、会社の発展のために高野山に「会社墓」をつくりました。
また、成功している経営者さんの本を読むと誰もが「自分一人でここまでやってきた」とは考えていなくて、お客様や従業員や家族に対して並々ならぬ「感謝」をしていることがわかります。
スピリチュアルな世界を信用するとき、人はここで経営者さんたちが持っている「感謝」「必要な謙遜」というような、誰もが納得する部分があるから安心するのだと思います。
先ほどまでお話してきた「金銭的に豊かになるのは良いことです」という「許可」だけを誰かが語っていたとすれば、おそらく誰もがその人のことを「怪しい」「うさんくさい」と感じるでしょう。
ところが、そうした「お金儲けしていいよ」という許可とともに「感謝することは素晴らしい」というような道徳的な部分があるためにこの人は信用できると判断してしまうという、なんだかよくわからないことになってしまうように思います(わたしだけでしょうか)。
経営者が口にする、あるいは隠宅風水などを施すような行動をするといったスピリチュアルは、現実逃避の正反対だとわたしは思います。
精一杯「見える世界」で努力して結果を出し、結果が出ないことは自己責任として受け止めてまた努力を続ける…といったことをしてきた人が(立派ですね!)、努力はした上で「神様にも力を貸していただく」というような気持ちでしているスピリチュアルです。
こうした人は自分の努力で会社経営がうまくいったとしても、「あのときのタイミングが良かったから」「みんなが頑張ってくれたから」というように自分一人の手柄とは考えていません。
努力を続ける人には信じられないことが起こるという幸運を「セレンディピティ」といいますが、経営者のスピリチュアルはまさにそのセレンディピティといえます。
ところがわたしたち一般の人は「努力」はしたくなくて、その「幸運」だけが欲しいというわがままな気持ちで、スピリチュアルの世界に何かを求めてしまうのだと思います。
しつこいようですが、わたしを含めてです…。
4. わたしがスピリチュアルを自分に役立てるなら
スピリチュアルという言葉を耳にしたことがない、その言葉を聞いても何のことだかまったくイメージできないという人はいないのではないでしょうか。
霊的なことだけでなく、超能力も含めて「オカルト」と呼んでいた時代に比べるとかなり明るくて軽い、そして良い意味でつかわれることの多い「スピリチュアル」について調べたり考えたりしてきました。
どちらかというと良い意味に捉えていて、スピリチュアル寄りの考え方だったわたしも、中立の立場の意見を読んではじめは抵抗感があったのになるほどと思えるようになったことは視野が広がったように感じます。
毎月同じ金額をお給料として受け取ったり時間給で働いた分だけお金を受け取ったり、あるいは歩合給で売れた分に応じて受け取ったりしていたわたしが、
自営業をはじめてからは
「今している仕事はいくらになるのか計算できない」
という状態になりました。
仕事の収入は自分でどうこうできるものではなく、「お仕事をいただける」「注文をいただける」ことによって決まるようになったのです。
こうした状態になると、自分では精一杯できることをした後は「神様にお任せ」するしかなくなります。
神様に好かれたいのでとてもスピリチュアルなことに敏感になります。そして自営業はその結果を実感できるのです。
(今振り返ればただの「思い込み」もあったように思うのですが…)
当時、斎藤一人さんの本に救われていたわたしは、まるで自分の人生で実験をするみたいに次々と斎藤一人さんのいうことを実践していました。
その中に
「ヒマな波動を出しちゃだめなの。お客さんがいないなら掃除でもなんでもするの。店は忙しくしているとお客さんが来るんだよ」
というのがあります。
わたしはもちろん、朝から掃除しまくりました。風水も信じていたので一石二鳥です。
そして朝からバタバタしていると、本当に注文の電話がかかってきたりするのです。
当時、わたしのホームページをあるご縁があって作ってくださった会社の社長さんとよく話をしていたのであるとき
「忙しくしてると仕事がくるっていうから、やってみたらホントすごい効果なの!」
と自慢しました。
「この前も東急ハンズさん(バルーナッツが輸入バルーンをパッケージして卸しています)に展示サンプルの交換に行ったら、その後いっぱい注文があったんだよ!!」
ゴム風船がしぼんでしまうのはご存知かと思います。ヘリウムガスが入っていれば小さいものなら数時間で、空気が入っていたとしても数日でしぼみはじめます。
気温や室温にも大きく影響し、時期によってはすぐに傷んでしまいます。単純に考えればサンプル分の風船とわたしの交通費と労働力はマイナスです。それによってどのくらい売り上げが変わるのかも不明です。
それでも、ヒマな波動は出しちゃいけないから忙しくしていようとサンプルを飾ってもらえる店舗にはできるだけこまめに通うようにしていました。
その社長さんはなんていうかイメージはホリエモンというかんじで、クールな現実主義者だったのでわたしとしては「スピリチュアルの素晴らしさを伝えたい!」という気持ちがありました。
ところがその返事は
「そりゃしょっちゅう来てくれる営業マンの方が全然来ない営業マンよりひいきするでしょ」
でした。
「そんなことないよ。バルーナッツと同じような商品なんてないんだから。わたしが忙しくしてるから神様が認めてくれて注文が来るんだよ」
とわたしが食い下がると
「同じ商品がないなら比較じゃないとしてもさ、営業マンが遠くから(わたしは埼玉県の端っこ、ほとんど群馬というところに住んでいます)来てくれたら、普通それなりに気の毒で注文するだろ」
と言うのです。
この会話の内容を今のわたしが判断すると、その社長さんが正しいかな、という感じもします。ただ行動に結果がついてきただけかも。
でも当時のわたしは「斎藤一人さんの言った通りだ!!ヒマな波動は出しちゃだめだ!自分からわざわざ忙しくしてたら仕事が来る!」という気持ちだったのです。
スピリチュアルやスピリチュアルな考え方は、弱っているときにわたしの考え方を変えてくれました。そのことでどれほど救われたか、気持ちが楽になったかわかりません。
実は今も、自分から忙しくしているとなぜか不思議と注文の電話がくるなどするために斎藤一人さんのこの言葉はかなり信じています。
斎藤一人さんってどんな人?
きっと、わたしよりもっともっと救われて共感した人は斎藤一人さんとかかわる仕事がしたくて販売店になったりするのだと思います。それが「まるかん」という一人さんの会社の売り上げアップにつながるのですね。わたしはそれを否定しません。
わたしは、もしかすると美味しいところだけをいただいたのかもしれません。
けれど、もしかするとわたしが斎藤一人さんの会社「まるかん」の商品を扱っていたら、粗利率が高い商品でしょうから今頃は大金持ちとはいえなくても、小金持ちくらいにはなっていたかもしれません。
すべては箱の中のシュレディンガーの猫のようです。
長い記事を読んでいただき感謝します。
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